本研究は、1922年より1949年まで27年間台北で存続したエリート養成機関台北高等学校の学生達がどのように教養主義を実践していたか、旧制高等学校の学生の素養と教養主義の関係を探る。本稿では、教養主義を大正時代に形作られた個人主義に基づいて古今東西の書物を通して人格陶冶することを重視した「オーソドックスな教養主義」と、30年代~戦争期に社会や国への還元、「実践」を強調し、民族国家主義などと結びついた思潮を仮に「戦争期教養主義」と命名し区別。分析対象である台北高等学校の台湾人学生達が1943年に創設した「杏」会の活動や『杏』掲載作品にこの両者のどちらがどのように色濃く反映しているか分析し、戦時下台北高校生、特に台湾人学生の体現した教養主義とは何だったのかを考えていく。