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在台二世と台湾との対話――台湾民間文学と新垣宏一「城門」――

在台二世與台灣的對話─台灣民間文學與新垣宏一〈城門〉─|The Taiwan bone Japanese' Talk to Taiwan: The Folktales in Taiwan/ NIIGAKI Koichi's "The Gate"

摘要


統治時代外地台湾は「日本人ディアスポラ」の場であった。それは、日本が、台湾独自の文化の上に近代的西洋様式の文化と、未だ近代化途中の日本の伝統文化を流通させ、さらに、南進政策の出発拠点として領台当初から台湾を重要視されてきたためである。言い換えれば帝国日本の周縁に位置し、人生の旅の駅であったのだ。こうした社会基盤の上に在台二世は生まれ育った彼ら自身もまた、30〜40年代日本人アイデンティティを自問自答させられることになった。台湾を故郷とする在台二世は当時の政治や経済の暴力の中で無言の受身的な存在として生きていた。台湾と日本の狭間で二重の苦に喘ぎながら生きていた彼らは、複雑なディアスポラ的分節化によるアイデンティティを構築していったのだ。統治期台湾という場で二世という宿命を負った人々の集団にとっての中心(台湾)は、同じ文化のあちら側の集団(内地人)にとって、どの程度周縁なのだろうか。従来の文学史においてもその存在は不明確である。そこで、本論では、文学の流通の陰で生きた在台二世新垣宏一の作品の声に耳を傾けてみたい。論を進めるに当たって、彼を後押しした力は、台湾でも普及した内地の郷土政策下の二つの新聞連載歴史小説のブームに依拠するところが大きいことを社会的枠組みの中で捉えてみる。それにより、二世の世界観がどのようにしてアイデンティティを、外地で維持していたのかを探ってみたい。

並列摘要


日治時代外地台灣成為「日本人流散」的場域,那是因為日本在台灣獨有的文化加上近代西洋文化、以及正朝向近代化邁進中的日本傳統文化使其互相交流,並視台灣為南進政策的根據地,日治時期起就非常重視台灣之故。換言之,位於帝國日本邊緣的台灣可說是人生旅途的一站。在如此社會架構下在台二世出生、繼而成長。這些在台二世在30〜40年代期間,禁不住自問自答:自己的身分認同。視台灣為故鄉的在台二世當時活在政治與經濟的暴力下,扮演著無言、被動的角色。生存在台灣與日本的夾縫中,殘喘於雙重的痛苦下,他們在複雜的流散及其過程中建構了屬於自己的身分認同。日治時期,在台灣這個場域下,對肩負二世宿命的世代們來說的中心(台灣),在同種文化另一邊的「內地人」的眼裡又是何等程度的邊緣化?這些問題在傳統的文學史中並無明確記載。基此,本稿嘗試傾聽生活於文學流通陰暗面的在台二世新垣宏一作品中的聲音,推論過程中,在社會性的框架中,察覺到推他一把的最大力量是台灣也相當普及的內地鄉土政策下,兩大報紙連載歷史小說的風潮。因此,本稿中探討二世的世界觀如何讓身分認同能持續於外地?|Taiwan was a site of "diaspora of Japanese" during the Japanese Occupation Period. As a matter of fact, Taiwan was regarded as important from the beginning of Japanese Occupation Period as it was a hub for South Forward Policy as well as the circulating of the traditional culture of Japan. In other words, Taiwan is located as a station of journey of life. Taiwan bone Japanese in Taiwan raised based on this social foundation. In this times, they who dee-med Taiwan as their hometown and lived as the silent and passive existences surrounded by the political and economic violence then. Notwithstanding they were squeezed between Taiwan and Japan in the struggle against double pains, they constructed their identities by means of the segmentation of complex diaspora. The matter how far of the periphery for the group with the same culture of the other side in terms of Taiwan as the center for the group of the second-generation Japanese bearing their fate on the site of Taiwan during the Japanese colony. It is obscure existence in the per-spective of conventional literary history. Therefore, the study tried to focus on the voices for the works of NIIGAKI Kouichi, the second-generation Japanese in Taiwan. Furthermore, it discussed the strength of supporting the writer based on the circulation of the two stories in newspaper serials in terms of the social framework. In accordance with this, the author explored how they maintain the identity in the overseas territory grounded on the Taiwan bone Japanese.

參考文獻


新垣宏一(2009)西川滿編•河原功監修「城門」『日本植民地文学精選集 013 台湾編 1』、 ゆまに書房、 pp.238-258
和泉司(2014)「在台 2 世の描く「台湾」と「台湾人」」『跨境/日本語文学研究』創刊号、東アジアと同世代日本語文学フォーラム・高麗大学校日本研究センター編、 高麗大学校日本研究センター出版、pp.171-188
井出勇(1999)「戦時下の在台日本人作家と「皇民文学」」『台湾文学研究の現在』台湾文学論集刊行委員会、 緑蔭書房、pp.93-113
尾崎秀樹(1991)「決戦下の台湾文学」『近代文学の傷痕』岩波書店
金関丈夫(1937)「李献璋『台湾民間文学集』書評」『民俗学研究』第 3 巻第 3 号

延伸閱讀