於1935年在台灣中部發生了規模7.1的地震,在新竹州及台中州發生了死者3000人以上的災害。從地震發生1年後,在各地建造了追悼的碑碣以作為復興之紀念,且也舉行了慰靈祭典。如眾所周知的在台中州(現在的台中市)至今仍然有舉行慰靈祭典。在這次地震之後,台灣由日本統治時代轉換成中華民國,人們的生活大大地改變了,但是震災的慰靈祭典即使是時代改變了也持續舉行著,在此這次的研究主要目的是探討台中市的地震追悼儀式的歷史,以及考察震災到現代為止持續傳承下來之慰靈祭典的意義。
1935年台湾中部で発生したM7.1の地震(新竹-台中地震)で、新竹州と台中州において死者3000人以上の被害が発生した。地震発生から1年後には復興記念として、各地で追悼の碑が建てられ、慰霊行事が行われた。台中州(現在の台中市)における慰霊行事は、現在も行われていることが知られている。この地震後、台湾は日本統治時代から中華民国へと変わり、人々の生活も大きく変化した。しかし、震災の慰霊行事は時代が変わっても続けられている。そこで今回の研究では、台中市の地震追悼行事の歴史を明らかにし、震災を現代まで伝え続ける慰霊行事の意義について考察した。