透過您的圖書館登入
IP:216.73.216.43
  • 期刊

【論文摘要】《鍼經》與《靈樞》變遷史略

摘要


現在の《黃帝內經靈樞》24卷(のち12卷本も)が,唐代までの《黃帝鍼經》9卷に由來するだろう,と從來から漠然と考えられていた。しかし,その具體的經緯は不明だった。北宋では零本の《黃帝鍼經》しかなかった。そこで高麗に求めたところ,高麗の獻本中に完全な《黃帝鍼經》9卷があったので,舊法派官僚の王欽臣が1093年に刊行した(元祐本)。しかし翌年から新法派政權が北宋末まで續いたので,舊法派による元祐本は重印されなかっただろう。かわりに元祐本も使用し,唐代からの傳本を装う偽經の《靈樞經》9卷が作成(1116~18)されたが,のち亡佚した。元祐本も金軍による靖康の變で版木まで掠奪されて現存せず,その舊貌は從來未詳だった。そこで金、蒙古、元の文獻に引用された《黃帝鍼經》の佚文を調査したところ,現《靈樞》と篇名、篇順までほぼ一致していた。南宋では秘書省になかった元祐本を史崧が獻上したが,當時は金との紹興和議への不滿から「華夷思想」が隱然としてあった。そこで高宗侍醫の王繼先は「東夷」からの獻本で舊法派の刊行とわかる元祐本序などを削除し,書名、卷数も《黃帝內經靈樞》24卷に改めた。そして1155年に《黃帝內經素問》24卷と合刻し(紹興本),《甲乙經》序や王冰以來の「黃帝內經傳説」を實體化した。しかも王繼先の失脚と追放(1161)により,後の重印本は繼先の序跋等を削除し,宋の史書も目錄書も紹興本の存在を黙殺した。このため當經緯が歷史の闇に埋もれていたのである。

關鍵字

《鍼經》 《靈樞》 醫史

延伸閱讀