透過您的圖書館登入
IP:216.73.216.222
  • 期刊

安部公房における懐疑的な1950年代-東欧体験の表象をめぐって

試論安部公房1950年代作品的懷疑性-以東歐經歷的表象為例-|Kōbō Abe's skepticism in the 1950s: The Representation of Experience in Eastern Europe

摘要


本稿は、安部公房が50 年代後半に刊行した諸作品に焦点を当て、安部の日本共産党に対する懐疑と、彼が抱き続けてきた対立意識がテクストで如何に表象されてきたかを明らかにする。安部は50年代初期までアメリカを意識しながら創作してきたが、56年の東欧体験を経て、作品ではソ連を表象するようになったのである。東欧での実体験を基に、安部はエッセイ集『東欧を行く』を出版した。本作において、安部は東欧で発生した一連の政治事件を高く評価している。安部はソ連の政治的抑圧の必要性を強調し、ソ連の抑圧と民衆の反抗との衝突によって生まれるエネルギーを期待している。しかし、日本共産党は矛盾の機能を否定し、そこから安部と日本共産党との確執が発生するようになった。こうした対立意識と深く関わる安部と日本共産党との確執は、東欧滞在中に掲載された「耳の価値」と、東欧外遊後に書かれた「鏡と呼子」などの小説においても伺うことができる。本稿は、安部と日本共産党との確執の原因を究明することによって、安部が「抑圧」を余儀なくされた世界における今後の小説形式の展開にとって、未だに重要な意義を持ちうる作家であることを実証する点に意義が見られる。

並列摘要


本論文透過研究安部公房發表於1950年代中後期的作品,分析文本中所表現出的衝突意識,研究安部與日本共產黨之間矛盾的源泉。50年代初期,安部公房的小説中關於美國的描寫隨處可見,但隨著蘇聯的國際地位不斷上升,特別是安部本人在1956年親身遊歷東歐後,其小説中關於蘇聯的描寫所佔比例越來越大。安部遊歷東歐後不久,在波蘭以及匈牙利發生了政治衝突事件,此時已經回到日本的安部受上述事件影響,他將關於東歐經歷的諸多散文修改後編成文集,即《東歐行》。透過本書的描寫可以發現安部非常欣賞帶有沙文主義的民族主義,並高度讚揚了發生在東歐的一系列衝突事件。安部在書中強調了蘇聯政治壓迫的重要性,對於群衆與蘇聯的對抗評價甚高。筆者認爲這些言論的出發點皆在於安部内心的衝突意識。由於日本共產黨並不贊同用暴力解決問題,因此安部與日本共產黨之閒產生了不可彌補的間隙。安部與日本共產黨的間隙不僅體現在散文中,發表於東歐遊歷中的《耳朵的價值》,以及東歐遊歷後發表的《鏡子與哨子》等小説的字裏行間中, 亦可發現由於安部的衝突意識導致而成的與日本共產黨之間的矛盾。本論文透過分析安部作品中所表現出的衝突意識,希望可以能為關於安部與日本共產黨間的矛盾研究指出一個新方向。|This study focuses on the works written by Kōbō Abe in the late 1950s, and clarifies the representation of his skepticism of Japanese Communist Party through the text analysis. As the Soviet Union expands its influence on the world in the late 1950s, Abe became to write about the Soviet Union in his works, especially after the trip to Eastern Europe in 1956. Abe wrote many essays based on his real experience in Eastern Europe. These essays suggest the skepticism of Abe to the Japanese Communist Party. After Abe returned to Japan, the political revolution has occurred in Poland and Hungary. Abe was inspired by these political events, and revised the essays which wrote about the experience in Eastern Europe, and published as a book "Going to Eastern Europe". In this book, Abe emphasized the necessity of political Repression of the Soviet Union, and he wrote the importance of energy, brought by the conflict with the people's resistance. In contrast the Japanese Communist Party denied the function of conflict, this means there was a confrontation between Abe and the Japanese Communist Party. This study confirms the confrontation between Abe and the Japanese Communist Party, and clarifies the social situation of Japan in the 1950s.

參考文獻


ウィリアム・カリー著、安西徹雄訳、1975 年、『疎外の構図─安部公房、ベケット、カフカの小説』、東京、新潮社
苅部直、2012 年、『安部公房の都市』、東京、講談社
木村英亮、1991 年、『ソ連の歴史─ロシア革命からペレストロイカまで』、東京、山川出版社
小林良彰、1971 年、『戦後革命運動論争史』、東京、三一書房
小山弘健、1966 年、『戦後日本共産党史』、東京、芳賀書店

延伸閱讀