瀬戸内晴美は昭和的後期から現在に至るまで活躍している女流作家である。彼女の作品は量的に多く、且つ名作が多い。例えば、伝記小説には田村俊子をヒロインにした『田村俊子』、岡本かの子を描いた『かの子擦乱』、伊藤野枝を主人公とした『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』、菅野須賀子の『遠い声』:中間小説に『朝な朝な』や『抱擁』など、さらに自伝小説にも『夏の終わり』『妬心』『黄金の鋲』などがある。いずれにも共通した特色は、女性を主人公としてその主人公と夫婦の愛欲、情欲にかかわる物語である。けれども、離婚の道を選んで作家を志した彼女は、もちろん最初から文壇に歓迎され、肯定された作家ではない。かえって、子宮と言う言葉などを初出の『花芯』という作品に出し、この小説によるデビューによって、ひどい目にあったのである。しかし瀬戸内晴美はこの予想以外の出来事にもめげず、ひたすら文学の夢を追い続けた。本論では、この『花芯』(昭和三十三年、三笠書房より刊行)の前の作品-昭和三十一年度の「新潮」で全国同人雑誌賞を受賞した『女子大生.曲愛玲』を中心としての研討をしたいと思う。これは中国にいる唯一の日本人女教授山村みねと女子学生曲愛玲との間のレズビアンの物語でがある。物語の最後は、戦争が終わっても山村むねは中国に滞在しっづけるが、曲愛玲は他の男と延安へ出奔する結未となっている。物語の筋は簡単であるが、作者はこの作品を通して自分自身の生命を燃やし、情欲の解放を求めたのであった。しかも、同性愛、特に女性同士の同性愛は、昔から政治意識や文化や経済、さらに社会制度と相入れないものであったので、そのインパクトもまた当然の帰結であったろう。ではなぜ、瀬戸内晴美が敢えて、積極的にレズビアンの題材を選んで小說にしたのか。その動機、出発点は、実は彼女自身の心に潜んでいた、いわゆる「女性解放」であると考えられる。これが本論で探求したいものである。