本論では、台湾総督府の外郭団体としての南洋協会とその台湾支部を取り上げて検討した。南洋協会は1915年に創立された。発足当初、田健治郎総督と内田嘉吉民政長官が、南洋協会の創立発起人、会頭、副会頭などの重役を務めた。また、その創立より第二次世界大戦後まで、南洋協会は台湾総督府から持続的に多額な補助金を受けており、台湾総督府の関与がきわめて強かった。このように、台湾総督府はさまざまな機関を通じて南洋に関する内外の情報ネットワークの構築に努力した。南洋協会はまさにひとつの例として示されることが出来る。しかし、昭和期の「国策ノ基準」の決定、日中戦争の勃発、「東亜新秩序」の発表、「大東亜共栄圏」構想などが、日本の南進政策を大きく転換させることになった。そして、戦争遂行のため、外務省・軍部の関与が次第に強力になり、南進における台湾総督府の自主性と独自性が喪失していくことになった。