「よく」を考える際、多様な要素が複雑に入り込んでおり、単純に割り切れない部分も多々あるが、今回はこれまでとまったく異なった観点から「よく」の分析を試みた。被修飾語の程度性とその被修飾語が「ている」形になったときに読み取られる意味、「よく」が使用されている文の文としての独立性、それから話者の評価を表す文末表現が明示されているか否かなどに焦点を絞って考察を行った結果、次のようなことが見えてきた。「よく」には行為指向用法と話し手指向用法がある。そのうち、話し手指向用法には話者の評価の気持ちを表すものしかなく、話者の評価を表す文末表現の明示が要求される。話者の評価を表す文末表現の明示がなければ、動詞節のみを修飾する行為指向用法として捉えられる。行為指向用法には「頻度」と「程度」と二つの意味が読み取られる。被修飾動詞の「ている」形に「繰り返し」の意味が読み取られれば、「頻度」の意味が優先的に読み取られる。ただ、「頻度」と読み取らせるためには、「よく」が使用されている文に、文としての独立性が要求される。文としての独立性がない場合、その被修飾動詞に程度性が見出されれば、まだ「程度」として読み取られる。が、もし、その被修飾動詞に程度性が見出されなければ、「よく」とは共起できなくなるのである。被修飾動詞の「ている」形に、「繰り返し」の意味が読み取られない場合、「よく」と共起するためには、動詞の程度性が必要となる。被修飾動詞に程度性が見出され、しかも「よく」が使用されている文に文としての独立性があれば、「程度」として読み取られる。また文としての独立性がなければ、「よく」とは共起できなくなる。