日本のアニメやマンガは、それらの魅力に惹かれて日本語の本格的学習を決めた者も多い。その大きな影響力に着目、教材として取り入れた研究報告は多々あるが、系統的なものは少ない。原因として、まず教材とする必然性がないという指摘がある。また本格的学習以前は母語での視聴が常で、学習と直接関係がないことも見逃せない。では、いかにアニメやマンガを授業に取り入れるか。教材として使う場合、いかなる目標を持たせるか。本稿は大学二年次の専攻学習者にそれらを使用した授業を行い、その後「興味尺度」を用いて、「興味」への感情的.認知的価値などの変化をみた。その結果、両価値とも尺度が上昇しており、アニメやマンガの日本語について、「興味の対象」から学習手段への認識の変化も強くみられる。それは作品認識の再生産.再理解でもある。従って、提示方法いかんで、作中の日本語を学ぶのではなく、作品を学習手段として理解し、授業後も日本語で視聴し、キャラクターで作品を読むことを試みるという自律学習が持続可能になるのであって、日本のアニメやマンガの授業での意義は自律的動機づけ喚起「個人の興味=持続的:課題価値の内面化」に集約できるだろう。
專攻日語的學習者,有多數都因為對日本動漫有興趣而決定進入日語專攻科系。因此,著眼於日本動漫對於日語學習者之影響,可發現在日本海內外都有採用日本動漫做為學習教材的研究報告,但是具有系統性的研究卻是較為稀少的。究其原因,首先,已有研究指出,以日本動漫作為教材是缺乏必然性的。此外,即使喜愛日本動漫,我們也不能忽視,日語學習者在學習日語之前,都是以母語閱聽,跟日語學習本身並無直接的關聯性。究竟在日語教育的場域中,如何利用日本動漫呢?若當作教材使用,要如何設定學習目標呢?本論文當中,以專攻日語的大學二年級學生為對象,讓同學在體驗以動漫為教材的課程之後,使用「興趣量尺」來明確呈現,學習者在課程前後,對於動漫在情感上與認知價值上的變化。作為結論,我們不僅可以看到在情感上與認知價值上都有提升,也強烈顯示出學習者將日本動漫從「感興趣的對象」轉化成為學習日語的手段。同時也是對於作品的重新認知與解釋。因此,根據動漫的提示方式,不僅僅是讓學習者學習作品中的日語,更是讓學習者了解到日本動漫作品作為日語學習手段的課程意義,並因此可以在課程結束後,維持喚起自律學習的動機,也就是「個人的興趣=持續的、課題價值的內在化」。