21世紀の世界に中国料理がどう受容されるだろうか?それについて考えるための参考として、20世紀の日本における中国料理の展開について検討してみよう。19世紀終わりには、神戸.横浜などの国際港湾都市においてチャイナ.タウンが形成されていたが、そこで中国の料理人がつくった本格的中国料理を食べる日本人は少数であった。20世紀になって、都市に湯麺、焼売などの点心類を食べさせる軽食堂や屋台が出現することによって、はじめて大衆が中国料理に親しむようになったのである。この大衆的中国料理は日本人の料理人がつくるものであり、日本の食文化にあわせて変形したものである。中国料理の湯麺に起源し、現在では日本独自の料理といわざるを得ないまでに変形したラーメンが、その例である。このような日本化した中国料理が、20世紀後半には、家庭の日常的な献立に普及したのである。中国料理にかぎらず、近代日本における外来の料理の普及は外食からはじまる。まず、外国人を顧客とする外食店を起源とし、次の段階では日本人の顧客を対象とする日本人の料理人のつくる料理となる。ついで外食ばかりではなく、家庭料理にも採用されるようになる。家庭料理化した段階のつぎは、食品産業によって工場生産されて、大量に供給される商品化する道筋をたどる。世界商品となったインスタント・ラーメンは、その例である。これらの段階を経るごとに、日本的変形の度合いが強くなり、本国における料理とは異なるものになる。そのいっぽう、経済的に豊かで国際交流が盛んな社会状況が実現されると、外国人の料理人を招聴したり、海外で料理を研修した料理人がつくる「本場の味」を提供する高級レストランが出現する。おなじような過程が、世界各地での中国料理の海外進出にあたって起こることが予想されるし、中国内部においても地方料理や少数民族の料理が、中国の他の地方に普及する過程で生じるものと考えられる。21世紀前半の世界では、社会の側の台所である食品産業と社会の側の食堂である外食産業がさらに進展するであろう。また、世界は産業化社会のつぎの段階である情報化社会-向かいつつある。このような趨勢をにらみながら、20世紀の日本での経験を参考にして、中国食文化の世界進出の戦略を考えてみることも重要であろ。