法蔵『華厳五教章』の教判論における大乗始教は新訳の唯識思想、法相宗の思想を指し、そこにおいて提起された真如凝然不作諸法という規定は新訳唯識の思想的立場を最も端的に示す有名な言葉となっている。さらにその五姓各別説は、法蔵の教判体系に組み入れられて一層の展開をみるようになった。法蔵は法爾の五姓各別のほかに暫時の五姓各別、分位の五姓各別をもちこんで、一切衆生悉有仏性の底意から性種姓と習種姓とを示し、これらを縁起相由のものとして説き進め、終教に至って悉有仏性を高唱するという性相融会の態度を発揮していく。ところで唐初期唯識思想との絡みとして、これまで提起されたものに特に円測の問題がある。華厳宗ではないが法宝の『一乗仏性究竟論』が円測の『解深密経疏』を参照していることは既に指摘されたことがある。また法蔵の『華厳経探玄記』の教体論がやはり円測の『解深密経疏』を依用していることも既に明らかにされている。すなわち法相宗正系たる基の系統を華厳教学と対立する位置に置き、円測を新訳唯識でありつつ一乗思想にも同調的態度を示そうとしたという、いわば中間的な位置に整理しようとする見方が多く行われてきた。今回の発表はその点をいま一度洗い直すものである。法蔵が唯識学を学んだ拠り所としてみると、おそらく円測の唯識学の存在は大きかったかもしれない。しかし一乗・五姓各別をめぐり、“円測の解釈から基の解釈へ”という発展内容を検討するとき、法蔵のような大乗始教理解への更なる展開を予想させるものである。