我日本と台湾は、地理的にとても近接している。また経済貿易関係や人的関係において、両国は極めて緊密である。台湾は、日本にとって生命線であり、日本は、台湾にとって運命共同体であるとよく言われている。日台間のこのような関係は、国際政治学界でエドワード・モース(Edward Morse)、ジョセフ・S・ナイ(Joseph Samuel Nye)、ロバート・O・コヘイン(Robert O.Keohane)等、特に米国の学者を中心に提唱されてきた「複合的相互依存」(complex interdependence)の理論を映し出すモデルと言える。たとえば、シャープと鴻海の資本・業務提携は、好例である。日台間では、人的・経済的な交流が活発に展開されているが、安全保障分野に目を向けるとそれは著しく欠如していると言わざるを得ない。これは、日台間に横たわる大きな政治的課題である。今後、日台関係が冷戦後の東アジアの国際関係において、どのような役割を果たすべきかを考察することは、日本の安全保障秩序を模索するためにも重要な作業となる。清朝末期に政府の重臣で張之洞らは、中国が奮起して強国となるには、日本を見習うべきだと考え、大量の知識青年を日本に留学させた。救国のために全身の血を沸かす青年は、日本へ来て、その独立富強の現状を目のあたりにした。また、孫文の革命思想の洗礼を受け、1905年孫文が東京で結成した中国革命同盟会には多くの清朝政府から派遣されてきていた中国人留学生が参加した。蒋介石や張群も、その一員である。100年前の辛亥革命に、宮崎滔天、梅屋庄吉など当時多くの日本人も関わっていたことが、その後の日本と台湾と中国を結ぶ絆になった大きな要因となったことには間違いない。辛亥革命の起点の一つである日本と台湾の過去から現在に至るまでの関係、そこに内在する問題点を明らかにすることは、将来にわたる日台関係、日中関係、さらに両岸関係の展望に重要な示唆を与えることになるであろう。本論文は、安全保障をめぐる政策論において各アクターがどのような関連性を有していたのかを考察することを通じて、現在の東アジアにおける日台間安全保障分野の特徴を明らかにすることを主たる目的としている。