『太平記』(14c後半成立)は、同世紀の南北朝動乱を描いた作品である。その歴史観は近世.近代の政治思想にも大きな影響を与えた。ただし近代以降、『太平記』の史料的価値には疑問符が付されてきた。それは、久米邦武「太平記は史学に益なし」(1891年)という論文が起源である。だが、その具体的な根拠や論理については、明治時代に公表された古い論文であることもあり実はほとんど知られていない。なにより、久米の議論自体も公正中立というわけではなく、幕末に盛んであった尊皇攘夷思想を反映していたと思われる。にもかかわらず、久米論文は日本史学においては無条件に正しい論文として受容されてきたきらいがある。そこで本稿では、久米論文の内容を具体的に紹介し、久米の主張の論拠やその背景となった幕末~明治初期の政治.社会状況を考察する。そのことによって、明治時代の南北朝史研究を解明する史学史研究としての成果が得られ、思想や文学をも包摂した『太平記』の総合的研究の基礎ともなり得ると考えている。
《太平記》(成書於14世紀後半)作為一部描繪日本當時南北朝動亂的文學作品,其傳遞的史觀對於日本近世及近代的政治思想都有著極大的影響。惟日本於近代後開始對《太平記》作為史料的價值產生質疑,其根本原因便是久米邦武所撰寫的〈太平記於史學無益〉(1891)。不過該論文發表於距今百餘年前的明治時期,使其內容的具體根據與理論方法並不為大家所熟知。且久米的論點也並非完全中立,而是反映了幕末當時所興盛的尊皇攘夷思想,然在日本史學界中卻常見諸多學者無條件地接受該論文中的觀點。是以,本研究將具體介紹久米論文中的內容,並詳盡考察其主張的根據以及幕末至明治初期時的政治與社會背景,旨在闡明明治時期的南北朝史相關研究,並為橫跨思想及文學領域的《太平記》綜合性研究奠定合適的研究基礎。