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  • 學位論文

萬葉集112號歌之語言分析 ― 以額田王的「個人面」為中心 ―

萬葉集112番歌の言語分析 ― 額田王の「個人的側面」をめぐって ―

指導教授 : 栗田岳

摘要


『萬葉集』卷二相聞部中的第111與112號歌為弓削皇子與額田王之贈答歌。其贈答歌中,兩人用和歌緬懷已故的天武天皇。有研究表示,第112號歌(以下統稱「該歌」)雖與第111號歌有共鳴,但實為額田王強調「個人面」之產物。本研究將以此為出發點,運用文法論來了解額田王如何在該歌當中表達其「個人面」。而具體分析方式為以下四點。 1. 多數研究指出,該歌中所出現的杜鵑鳥與中國古代蜀國望帝杜宇的故事有相當程度之關聯性。本研究先從『萬葉集』中關於杜鵑鳥的漢字表記為「霍公鳥」之原因,及探討中國古典書籍與『萬葉集』中杜鵑鳥的意象,再深究望帝的故事與該歌有何關聯性。 2. 『萬葉集』中,連接動詞「恋ふ」的格助詞為「NI」與「O」,而該歌屬「NI」與「恋ふ」的組合。本研究進一步從日文中「與格」、「對格」的觀點去分析該歌中的格助詞「NI」前面所接續的名詞是否為人類相關之名詞。 3. 該歌為修飾名詞的助動詞「RAMU」中的一例,然各注釋書的解釋卻有所分歧。本研究將焦點放在作歌者與對方的距離感,並實際透過『萬葉集』中例子進行確認,進而明白「RAMU」具有何種功能。 4. 目前對於該歌所出現的副詞「KEDASHI」之研究尚有不足之處,因此本研究將以『萬葉集』出現「KEDASHI」一詞的和歌進行分析,並討論該歌的解釋與「KEDASHI」的意涵。

關鍵字

萬葉集 額田王 杜鵑鳥 RAMU KEDASHI

並列摘要


「萬葉集」巻二の111、112番歌は弓削皇子と額田王による贈答歌で、それぞれに、故人である天武天皇への思いが詠まれている。このうち112番歌(以下、「当該歌」と称する)に関しては、それが額田王の「個人的側面」を強調したものであるという先行研究の見解があり、本研究はそれを考察の出発点とする。当該歌原文の言語分析を進めることによって、当該歌がいかにして額田王の「個人的側面」を表出しているのかを明らかにするものである。具体的には、以下四点の分析を行った。 1. 一般に、当該歌におけるホトトギス対しては、古代中国の「望帝の故事」との関連が指摘されている。その「望帝の故事」が当該歌の解釈に何をもたらすのかについて、『萬葉集』ホトトギスの「霍公鳥」という表記の問題や、中国古典および萬葉歌におけるホトトギスの表象をふまえつつ、検討を行う。 2. 『萬葉集』において、動詞「恋ふ」は、格助詞「ニ」及び「ヲ」を取る。当該歌は「~ニ恋ふ」の例であるが、当該歌がニ格であることの意味を、「人名詞」であるかどうか、「与格」「対格」といった観点によって分析していく。 3. 当該歌は、名詞修飾を行う助動詞ラムの例であるが、諸注の解釈は分かれている。本研究は、詠み手と対象との距離感に着目しながら用例の観察を進め、名詞修飾のラムがいかなる機能を持つのかを明らかにする。 4. 当該歌に見られる副詞「けだし」は、これまで、その意義の考察が十分ではなかった。そこで本研究では、改めて萬葉集の用例の検討を行い、当該歌の解釈と「けだし」の意義との相関について論じる。

並列關鍵字

萬葉集 額田王 ホトトギス 恋ふ ラム けだし

參考文獻


研究書、研究論文(本文中で言及したものに限る)
伊藤 博(1976) 『万葉集の表現と方法 下』 塙書房
大鹿薫久(2004) 「モダリティを文法史的に見る」
『朝倉日本語講座6 文法2』 朝倉書店
神尾昭雄(1990) 『情報のなわ張り理論』 大修館書店

延伸閱讀