夏目漱石寫的《我是貓》,原本打算在明治三十八年一月連載一回,但因為大受好評,而持續撰寫,一直到明治三十九年八月,共歷經十一回的間接連載。故事是由一隻沒有名字的貓開始的。那隻貓用多話和辛辣的語調發牢騷、諷刺、以及批判來吸引眾人的目光,使人大笑。但在那趣味的深處,藏著人們最痛苦的事實。藉由理解那樣的事實,才能明白作者漱石的內心。漱石去英國留學之後,認識到西洋文明和東洋文明的差別,明白明治日本所面臨必須追趕上西洋文明進步的事實。可是,不接受異質文明就無法生存的情況下,那份不安和擔心是很難隱藏的。 筆者透過描述苦沙彌和貓的關係、貓對事物的看法、出現的女性們的評價,試著去思考關於作者漱石對事物的想法。還有,在貓的眼裡到底看到了什麼、是不是對什麼訴說著不滿。透過這些事,想順便探究漱石的人生觀。漱石對金錢或權力的濫用問題、人類的不平等、利己主義、文明進步的矛盾等問題,是如何思考的呢?認為應該如何處理才好呢?對此有興趣則是本研究進行的主要動機。漱石內心的情況和思想,除了作品以外,根據日記或書信、演講、藏書中的附註,可以更具體、詳細地來研究,在此想查明漱石在《我是貓》裡想訴說的心情。
夏目漱石が書いた「吾輩は猫である」は明冶三十八年一月『ホトトギス』のに一回きり載せるつもりだったが、あまりにも大好評だったので、執筆を続け、明治三十九年八月まで十一回にわたって断続連載された。物語は一匹の無名の猫によって始まった。その猫は饒舌と辛辣な口調で不平を言い、諷刺し、批判することによって衆目を集め、人を笑わせるのである。しかし、その面白さの底には人間にとっての苦い真実が隠されている。その真実を理解することによって、作者漱石の心を理解することができるのである。漱石はイギリスへ留学に行ってから、西洋文明と東洋文明の違いを認識し、西洋の開化に追い付かねばならないという明治日本の直面している現実が分った。しかし、異質の文明を受け入れなければ生存できない状況を前にして、その不安や心もとなさを隠し難かったのである。 筆者は苦沙弥と猫の関係、猫のものの見方、登場する女性たちへの描写による評価などを通じて、作者漱石のものの考え方について考えてみたい。また、猫の眼には何が見えたのか、何に対して不満を語っているのかということを通じて、漱石の人生観についても探究したいと思う。漱石は金力や権力の濫用の問題、人間の不平等、エゴイズム、文明開化の矛盾などの問題に対してどのように考えていたのか、どのように対処すべきだと思っていたのかということへの興味が本研究を進める主な動機となった。漱石の心の様相や思想は作品以外、日記や手紙や講演、蔵書への書込みなどによっても、具体的に、詳細に考察することができるが、ここでは彼が『猫』で語ろうとした気持ちを究明したい。