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東アジアにおける橫光利一「皮膚」受容の射程-劉吶鴎「遊戯」、翁鬧「残雪」、李箱「童骸」をめぐって-

東亞的橫光利一〈皮膚〉受容的射程-以劉吶鷗〈遊戲〉、翁鬧〈殘雪〉、李箱〈童骸〉為例-|The Range of Acceptation of Hifu by Riichi Yokomitsu from Eastern Asia : Taking Examples from Liu, Na-Ou's Game, Ong Nao's Remnant Snow, and Yi Sang's Donghae

摘要


横光の作品では、新心理主義から「純粋小説論」に至るまでの一連の実践において、「皮膚」(『改造』1927.11)をはじめ、一連の異色の「恋愛もの」を発表している。この「皮膚」作品群の代表作「皮膚」の特徴は、彼が随筆「銀座について」(『読売新聞』1927.3.16)で吐露した、モガの恋愛を「清新なリリシズム」として表現しようとする意図が見られる。それは、横光文学における男性的異性愛機構からの脱線であり、モガの新しいジェンダー規範に対して開かれた回路である。この回路は東アジアで受容され、劉吶鴎「遊戯」、翁鬧「残雪」、李箱「童骸」において、解釈に余地を持つルートを生成し、変容を遂げた。三作の共通点としては、登場した男性は、いずれもモボのように振る舞い、一対一の理想の恋愛をバネにして自我の確立を求めるが、モガの論理に足元をすくわれたため、モガを軽蔑し、他者化する。また、横光と異なるのは作者三人とも、翻訳と移植の権力ヘゲモニー関係、受容部分を選択したうえでの自身の文体構築、ジェンダー規範の挫折などというベクトルにおいて、それぞれの植民地的近代の雑種性を表象している。

並列摘要


在橫光的作品當中,從新心理主義到〈純粹小說論〉的一連串的實踐之間,有發表過以〈皮膚〉(《改造》1927.11)為首的一系列奇異的「戀愛作品」。作為此一〈皮膚〉作品群的代表作〈皮膚〉之特徵,可以說是在實踐他曾在隨筆〈關於銀座〉(《讀賣新聞》1927.3.16)吐露過的意圖,亦即將摩登女郎的戀愛,作為一種「清新的抒情體」來書寫。這些是橫光文學中,男性的異性戀機制的逸脫,也是對摩登女郎所帶來的新性別規範所開放的迴路。這個迴路在劉吶鷗的〈遊戲〉、翁鬧〈殘雪〉、李箱〈童骸〉等東亞的受容作品當中,產生了有解釋餘地的路徑,進而變容。作為三部作品的共同點,可以注意到登場的男性,全都表面像摩登男孩般行動,要求一對一的理想戀愛作為尋求自我的確立,然而卻被摩登女郎挑戰而露出邏輯破綻,因而輕視摩登女郎,將之他者化。此外,與橫光不同的是,三位作者三人都在翻譯和移植的權力關係、選擇受容部分後構築自身文體、性別規範上的挫折等的向量上,展現著各自的殖民地近代的混雜性。|Yokomitsu started off with the work Hifu (皮膚), followed by some novel "love stories". The characteristics of Hifu can be seen as the one that he used to express his intention to describe a kind of "refreshing lyricism", which he had previously addressed in his essay About Ginza (銀座について). Such description is accepted by the three East-Asia works in the subtitle of the thesis. For the common points in these three works, we can notice that the males in the stories were seeking the certainty of self with a romantic relationship. Such intention, however, was challenged by modern girls and exposed with flaws in terms of logic, which makes them overlook the modern girls in the process of othering. Different from Yokomitsu, the three writers expressed their respective hybridity of colonial modernity in terms of the vectors of the power relation between translation and transfer, construction of their own type of writing after the acceptation, and the frustration with the gender rules.

參考文獻


秋草俊一郎(2012)「自己翻訳者の不可視性──その多様な問題」、『通訳翻訳研究』12 号、東京:日本通訳翻訳学会
安藤恭子・飯田祐子(2002)「へテロ・セクシズムと自己去勢願望」、『国文学解釈と鑑賞』67 巻 3 号、東京:至文堂
石田仁志(2002)「横光文学における異性愛表象─「鳥」をめぐって」、『国文学解釈と鑑賞』、67 巻 3 号、東京:至文堂
石田仁志(2006)「横光利一の恋愛小説─ヘテロセクシズムの観点から」、石田仁志・渋谷香織・中村三春編『横光利一の文学世界』、東京:翰林書房
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