主人公「私」が河童の国に落ちて以来、河童が人間と異なることに度々気が付いた。河童の胎児が出生の時、胎児自身が世に出生する意思はどうであるか、その親が聞いておくが、結果は胎児の意志次第である。そして、雄の河童は雌の河童に気違いに追いかけられることに対しても、抵抗できず、雌のやり放題を受けいれるしかない。そういう問題ができるのは、「生命の樹」という神が、河童の体を創造する時、それに伴って起きた問題である。「旺盛に生きよう」との教えが、結局、物化される無職の河童が資本家に最大の利益を齎す。「生命の樹」が河童の世を作るせいで、この世に住んでいる河童たちが、その特殊性で起きた問題を解決しようとしても解決できないという宿命が定められた。しかも、河童の遺伝の問題と結ばれて、主人公の「私」の居場所にも関連している。筆者は、先行研究を踏まえて、河童の身体とその隠喩を視線として論を展開し、「生命の樹」その寓意とストーリの中の信仰、家庭などの問題を触れながら、河童の世界と「私」、そして「私」がいる人間の世とのかかわりを探求しようと思う。