透過您的圖書館登入
IP:216.73.216.200
  • 會議論文
  • OpenAccess

芥川龍之介「鼻」論—内供の「はればれした心持」の実体

摘要


本論文は芥川龍之介「鼻」の末尾にある内供の安堵の意味を考察することを主眼とする。従来の研究では、内供の安堵を彼自身の勘違いとするか、それとも真なる変化とするかによって、「暗い解釈」と「明るい解釈」とに分かれている。内供の安堵の意味を探ろうする際、焦点を合わせねばならぬのは彼の「自尊心」である。内供の「自尊心」は鼻をめぐった葛藤の端初でもあり、根源でもある。内供が「自尊心の毀損を恢復しようと試みた」のは、彼の現在の高僧としてだけではなく、出家してからの<生>をまともに認めてもらうためである。しかし、永年の渇望とは裏腹に、手術で短くなった鼻は以前よりもっと露骨的な嘲笑の対象になる。ここまで、内供は「傍観者の利己主義」に振り回され、将来の自己を周りの基準に合わせるばかりである。ついに、内供は「鼻の短くなったのが、反て恨めしくな」るが、ある日、内供の鼻は再び長くなる。このような、内供の安堵までの過程を考えると、末尾の安堵の独白は、これからは誰に笑われようと昔のように、絶対その笑いに振り回されないぞ、という自己回復の逆説的な表現と言わねばならない。さらに、言葉を加えれば、奇形の長い鼻にしろ、「あたりまへの」短い鼻にしろ、回りから哂われることに変わりはない、絶望的で救われようがない袋小路に閉じ込められた内供にとって、戻ってきた「昔の長い鼻」に頼るより他に生き延びる道はなかったとも言えよう。

關鍵字

無資料

延伸閱讀