浄土経典は「人間世界の出来事としての浄土」ではなく、念仏することに縁が有る凡夫衆生が「死後に往き生まれる弥陀浄土」を解き明かす。しかし法然が阿弥陀仏の第18願に依慿し43歳以後に一日6万遍の念仏を持続する生活のなかで、66歳頃に浄土を感見し住み遊ぶ体験(三昧体験)が「弥陀浄土が将に現れ来たる」様相としてもたらされたことを強調すれば、念仏三昧体験のなかで「浄土」が感じ見られる。それを「人間浄土」と言ってよいかもしれない。しかしそれは、人間世界を浄土にする(改革)ということではなくて、宗教体験としての念仏三昧がもたらす個人の体験世界としてのことがらである。人びとが抱く浄土教への切実な願いの時期に丁度、法然の出現がある。法然はただ単に浄土を説くのではない。法然は、すべての生業の人々に、浄土を求めること‹所求›、阿弥陀仏に帰依すること‹所帰›、南無阿弥陀仏と声に称える実践行‹去行›を懇切に説く。その究極的な志向は『浄土三部経』が説くように死後に往生浄土することであるが、実は口称念仏を専修することに依って現世において念仏する者が獲得することが出来る功徳.利益をも説く。つまり、阿弥陀仏の本願力にまかせて念仏することは、念仏をとおして実地に獲得される境涯.功徳.利益が求めずして獲得され(現益)、寿命を終える命終の時には阿弥陀仏の来迎を得て浄土へ往生し成仏する(当益)。法然は43歳以後から80歳で臨終を迎えるまで、善導の「一心専念弥陀名号..」の34文字にすべてを託して念仏生活をまっとうした。この生き方を辿る時に、我われは法然が念仏体験を道詠(お歌)として残していることにも注目したい。その心境を、常に「阿弥陀仏と親しく.観音勢至の影護を蒙る」ことを事実として語り出している。仏教は人間自身への凝視点を釈尊以来今日に至るまで常に強調し持続する。つまり「人間自身への凝視点」を深く持って時代と思想とに向かうことが重要である。その場合に釈尊が「dharma〈法〉に帰依する」ことを重ねて説くように、我われの凝視点は「阿弥陀仏とその浄土」を拠り所とする。それ故に浄土の観念が成立する。その凝視点はどこまでも弥陀浄土に置かれ、我われは自己自身が南無阿弥陀仏と口称し念仏し続けることのなかで「阿弥陀仏と親しく.観音勢至の影護を蒙る」生活を味わうことに尽きる。そのような意味を積極的に物語るのが「人間浄土と弥陀浄土」という課題ではなかろうか。