借阿難遭遇摩登伽女之難,佛陀問阿難當時出家因緣為問,引出一經重點:出家因緣的發「心」動機,乃關乎進入佛法的關鍵命題。若從「如來三十二相勝妙殊絕」乃以錯用了心(著如來之「相」):即以「妄心(生滅心)」為入道學佛之因,則為「因地不真,果招紆曲。」故佛陀即以「一切眾生從無始來生死相續」乃由「不知常住真心」而錯用「妄(想)心」,故有輪轉。妄真不同,屬「始教」說。其後從「七番破處」,以破斥「妄識」非「心」。而學佛下手處當在善用「(真)心」,若此「(真)心(不生滅心)」在「妄心」外,另覓求之,恐亦無處可尋。「十番顯見」乃從「妄心」中顯現「真心」。乃「剋就根性直指真心」-乃以「妄中有真」係「終教」說。其後,「會通四科即性常住」明五陰、六入、十二處、十八界四科即「如來藏性」。相中有性的「如來藏思想」即屬「終教」說。次則,再「圓彰七大即性周遍」為「事事無礙」觀-屬「圓教」說。最後,於「六根」中妙選觀音「耳根圓通」法門及其修行次第之方法。而「一根既返源,六根成解脫。」亦屬「圓教」說。
賢首宗「寶通」、「雪浪」、「雲棲」、「高原」四法系傳承中,惟高原法系目前尚無發現明清宗譜專著可供稽考,且各世祖師亦少有專著存世。然由《吳都法乘》、《賢首宗承》與各《地方志》、《寺志》、《詩文集》、《碑文》文獻探究,仍猶能對於多位祖師事蹟略作補遺、亦可推知賢首宗高原法系由第十七世獨芳蘭至第二十三世虎丘清仍皆居於嘉興、蘇州等地、至第二十五世高原明昱始兼慈恩宗、第二十七世樂修慧善方遷傳於北京,並於第二十九世若水超善與嵩嶽自塏興盛京師。第三十世懷一慶餘後,高原法系主要由廣善寺所傳續,至第四十世思元慧三遷台弘法,賢首兼慈恩宗於台灣至今仍持續傳承開展。
法藏は『華嚴經探玄記』の中で戒賢と智光の三時教説を詳説している.玄奘の新譯典籍に基づく中國唐代の新譯唯識は戒賢の思想を繼承しているとされるために,法藏が論じた戒賢の三時教説は一般に新譯唯識派の教相判釋説であると見られてきた.しかし本論文では,新譯唯識の三時教説の源となった『解深密經』「無自性相品」の考察を通じて,新譯唯識が三時教説を論じた目的は,必ずしも法藏が彼の著書で論じたようなものではなかったと考えるべき根據を明示する.新譯唯識が『解深密經』の三轉法輪説をいかに理解していたかを分析することで,同派がこの教説を教判論としてではなく,むしろ無自性の教えに基づく大乘の實踐論として理解していたことを,本論文の執筆者は主張する.これにより本論では,法藏の三時教説の獨自性と,それが『解深密經』の三轉法輪説を中國佛教の,ひいては東アジア佛教の,獨特な一面である教判論的な傾向の強いものへと變えていく上で果たした役割を,浮き彫りにする。
中國唐代に現在の山西省五台山付近に生きた李通玄居士は、法藏ら華嚴宗祖師たちの思想を研究した上で、獨自の華嚴思想を打ち立てた。その思想は、「理.體」的な側面としては「一卽一切.一切卽一」、「相卽相入」の圓融思想を根幹としながらも、『華嚴經』「入法界品」を重視し、主體的な意思と行動に基づく菩薩の具體的な歩みを強調したところに獨自性がある。その特色は「初發菩提心」に對する李通玄の考えにも看取できる。法藏が「信」の力を強調した圓融的な「信滿成佛」論を唱えたのに對し、李通玄は「信」を土台とした「初發菩提心」を重視し、「初住成佛」論を唱えた。李通玄は①「他佛所行之樣」を見倣い信解する十信位中の發心と「開廓心海、誓度衆生、無有限量」という初住位の發心を區別し、②初住位の「發心」以降も「習氣」を漸々に退治すべきだという現實の人間の姿に對する洞察を示し、③五位各位に「初發菩提心」があるとして常にそこへ立ち返ることを唱える。唐王朝が大きく揺れた時代を生きた李通玄の華嚴思想は、純粋な理念に留まらず、現實的な人間觀に裏打ちされた具體性を有し、混迷した時代を生きる現代人にも多くの示唆を与えてくれるだろう。