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華嚴學報/Journal of Huayen Buddhism

社團法人中華民國佛教華嚴學會,正常發行

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自《華嚴經》傳入後,中國以豐沛的文化當量,成功雜揉印度、西域文化,成就華嚴宗的璀璨,於此歷史背景孕育而生的「一乘不共別圓」乃華嚴思想體系的核心,以三教和五教統合論之,常與「一乘圓」混淆,而兩者間於行法的差異為最大的特徵,前者偏解脫道也是「一佛乘」,後者則偏圓融道。法界的概念則為「華嚴」的另一根本,就本元論分析,可將其分為體法界或稱一真法界和用法界或一心法界,體法界三觀多方已有論述,用法界則付之闕如,本文則試圖將一心法界分為世間法界、淨土法界、緣起法界和性起法界四部,並以「一心」和「法界」分別闡述為肇,次第解析法界真義。

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いわゆる「嚴密」を創始した日本.鐮倉時代の明惠上人高辨(1173-1232年)は、中國唐代の華嚴行者.李通玄(635-730年頃)の大きな影響のもと、佛が放つ光明を觀察する「佛光觀」(李通玄のことばでは「寶色光明觀」)を案出したことで知られる。本論では李通玄の寶色光明觀と明惠の佛光觀に關する基礎的な資料を挙げ、両者の著作における変化について、先行研究を紹介しながら分析する。特に「方從定還起、十方觀四維上下、周遍推求自心、內外都無所得。」(李通玄『解迷顯智成悲十明論』)の一節を明惠が當初は重視せず、やがて強調するに至ったとの前川健一氏の指摘について、本論では明惠が李通玄の著作に出會った當初からこれを読んでいながら『華嚴修禪觀照入解脫門義』における引用では意図的に削除している點を指摘する。この一節は『華嚴佛光三昧觀秘寶藏』では正確に引用されるだけでなく、詳細な説明と『略釋新華嚴經修行次第決疑論』の記述との比較もなされてくる。そこには明惠による佛光觀實踐と李通玄の著作の理解の深化の相乗効果を見ることができる。この一節が説く「自心」を「內外都無所得」と徹見することは、李通玄の著作においても、最晩年の『十明論』で最も精緻に語られている。つまり明惠と李通玄には、みずから佛光觀.寶色光明觀を實修する中で、この點にみずからの觀法と教理の究極的な要點を見出したという、共通の體験も窺うことができるだろう。そしてその意義は、「從凡夫地、信佛智慧我亦當得。何以故。一切諸佛悉從凡夫來故。」という明惠の言葉と、「若言眞智本來自然常不變易者…眾生自眾生、聖自聖、不須教化也。」という李通玄の言葉に表れていると言えよう。

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元代佛教,因朝廷政治考量,以藏密為國教,對漢傳佛教採「崇教抑禪」政策,致使教宗擴張、禪宗式微。然因經濟禮遇,亦使僧眾多以管理寺院資產為要,而鮮有義學著作、律宗戒律與禪法修行皆難以興盛開展。華北華嚴宗以洛陽、元大都與上都、五臺山為傳播中心,義學承襲遼、金、西夏遺續,以澄觀傳承為系統,並結合密教、唯識思想,展現華嚴學獨特之圓融性;江南華嚴則延續南宋傳統,以法藏思想為主軸,就華嚴教義解釋禪、律、教類典籍,教僧與禪僧亦多有往來。考諸方志可知江南華嚴名剎,南宋紹興以前即已定額或易禪為教,故「崇教抑禪」影響未如現今學界共識顯著。慈恩宗原盛於華北,至世祖時詔令向南傳播,然江南仍以禪宗為盛,故現今所留載元代慈恩法脈傳承者,皆居於華北,且多善華嚴,高瞻遠矚者更對經、律、論三藏皆圓融無礙,未有偏廢。

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賢首大師法藏(643-712)が著した『大乘起信論義記』は,『大乘起信論』を理解する上で最も多く參照される注釋書であり,『大乘起信論』を四宗判における如來藏縁起宗と位置づけて法相唯識とのけじめを宣揚するなど重要な著述とされている.唐代において法藏ののちに圭峰宗密(780-841)が出て『義記』を改削して『大乘起信論疏』四卷を製作した.そして宋代になると宗密『大乘起信論疏』への精密な注解書として長水子璿(965-1038)の『起信論疏筆削記』二十卷が作られた.このような經緯から,『起信論』と『義記』の研究は宗密の『大乘起信論疏』と子璿の『起信論疏筆削記』が大きな柱となり(日本では『筆削記』を大きく依用した湛睿(1271-1346)の『起信論義記敎理抄』十九卷が重要な參考書となる),いつしかオリジナルの『義記』は湮沒するに至った.今日一般に用いられる大正新脩大藏經第44卷所收の法藏『義記』は,日本.江戸時代の元祿12年(1699年)に,華嚴學僧の鳳潭(1659-1738)によって新彫刊行された『起信論義記會本』五卷が元になっている.これは鳳潭が宗密改削以前の『義記』を,當時日本に遺されていたものから見出して刊行したものである.鳳潭は『義記會本』の刊行に續いて,自身の解釋書として『起信論義記幻虎録』五卷(日本大藏經第7卷所收)を1701年(元祿14年)に上梓しており,そこではそれまでの『起信論』研究が宗密.子璿等に依據してきたことについて痛烈な批判を展開している.法藏の『義記』のオリジナルの姿を見ることができるようになったのは鳳潭の功績と評されるが,ただその公刊が純粹な意味での資料公刊であったかといえば,まだ靄の晴れない部分もいろいろと殘る.今日の『義記』が表舞臺に立ってきたのははたかだかこの三百年間であって,『起信論』の研究の歴史としては,およそ九百年間にわたって宗密の改削版に據ってきた事實があること,そして鳳潭自身の意圖としてみるとき,『義記會本』の新彫刊行は『幻虎録』との抱き合わせで世に問うたものであり,今日の『義記』には鳳潭の思想的畫策が背後に隱れているというところにいま一度思いをいたすべきと思われる.本稿は臺灣での發表であるので,これまで日本で明らかにされている事柄から概觀する程度にして,鳳潭の行實を簡單に紹介し,宗密以後の華嚴思想に向けられた鳳潭の批判,特に理事無礙.事事無礙問題,性惡説,非情成佛説に關する鳳潭の考え方を紹介したい.

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马一浮对华严宗义理造诣深湛,因此他在与门下弟子讲说和讨论儒家经典时,时常运用华严宗的思想方法。马一浮引《华严经》义与儒家经典相互印证之处颇多,但集中体现在1943年12月份他所写的《华严经净行品写本自跋》和《大方广佛华严经普贤行愿品写本自跋》中,实具有将《华严经》的修行精神注入儒家经典之中的意味。马一浮对佛教的一真法界有着深切的体会,他经常运用佛教的一真法界诠释儒家经典中的最高范畴,实具有将《华严经》的修行精神注入儒家经典之中的意味。马一浮运用华严宗的四法界义诠释儒家经典,从而将他主张的儒家之理贯彻到日常事为之中。马一浮有时会运用华严宗的三圣圆融观诠释儒家经典中所说的知(智)行关系,委婉地表达了一种知(智)行合一的思想倾向。马一浮解说儒家经典的功能与作用时,最喜借用华严宗五教的范畴。通过运用华严宗的五教判释之义,马一浮阐明了每一部儒家经典的功能、作用及基本特征,颇多新奇之思及闻所未闻之论,极大地丰富和拓展了人们对儒家经典体系的理解和认识。马一浮将六相圆融义视为准确理解《周易》的思想基础,在解释《论语》时也曾多次运用到总、别一对范畴。通过研究马一浮对儒家经典的华严学解读,既可以增进我们对马一浮之为现代新儒家的理解,又可以提升我们对华严宗义理的把握。