「哀しい父」は従来の研究で葛西善蔵の文学観を表現する作品として評価されている。しかし、こうした作品外部の作家=作品内部の主人公という論調は、最近の小森陽一及び山本芳明の研究で否定された。本発表は作品の固定の言説は作家とある程度に一定の繫がりがあると考える。従って、本発表では、テクスト分析を主軸とし、同時に葛西の書簡を借り「哀しき父」が故郷往還のプロローグとしてなぜ成立できるかということを検討してみる。具体的な作業は、無くなった「小箪笥」及び子供の変容から「哀しき父」にどのように故郷往還の問題を露呈するかということを考察することである。