1942年(昭和17年)11月、中島敦の第二作品集として『南島譚』が今日の問題社より刊行された。その作品集の巻頭を飾ったのが、「幸福」「夫婦」「雞」の三篇からなる「南島譚」である。「南島譚」の三作は「環礁―ミクロネシア巡島記抄―」(以下、「環礁」)六篇と並んで、中島の1941年6月28日から1942年3月17日までの「南洋行の直接の土産」と称される。ところが、パラオを中心としたミクロネシア滞在中における中島敦の実体験に基づいて書かれた「環礁」と違い、「南島譚」はより虚構性の強い作品だとされている。その中で、「幸福」は南洋とは縁遠い中国の古典「列子」「周穆王第八」を原典にしたことが既に明らかにされているほか、パラオ伝説に依拠した「夫婦」と友人の日記から素材を得た「雞」のいずれも‘中島がパラオ民俗研究者の土方久功氏から聞いた話をもとに完成された作品であることもよく知られている。本発表で取り扱う「雞」は、長年南洋に住んでいる「私」の視点から描かれた作品である。主人公「私」は、雞にまつわる島民マルクープの不思議な行為によって複雑な心境が引き起こされ、最後に「兎も角として、南海の人間はまだまだ私などにはどれ程も分っていないのだ」という感想を漏らした場面を以って物語が閉じる。本発表は、日本の価値観を持ちながら、南洋の一島民と接する中で感じる「私」の〈戸惑い〉に着目し、「私」が不可解な他者を発見していく道程を追うことにより、作品に新たな読みを試みるものである。