僧肇《肇論》一出,格義佛教正式退場,從印度、西域來的佛法,真正能以中文完整表達,讓漢語世界順接佛法教義,依文所顯的道可以無誤,載道所轉的文可以活用,啟發以中文論述佛法,漢傳佛教於焉能立地展開。僧肇善用時人熟悉的老莊道家玄語,出入其中,卻也能脫化而出,被其師鳩摩羅什讚為:「吾解不謝子,辭當相挹」。其文字精確達雅,環環相扣,常常文字一翻,意義迥然拔高,不僅跳脫老莊,契合般若思想,更是文道符應,活用中文,因此無形中具足了實踐的力道。而這樣的文道典範與運用,可謂文字般若化,其對後代漢傳佛教有很好的啟發與承接。尤其具實踐力道的文字,為禪門多所運用,啟發禪師們的教化風格、銘記詩偈、機鋒對話、智境相融的境界語等。僧肇之所以能用中文自在論述佛法,與佛法的語言文字觀有關,故本文先探究佛法與僧肇的名實觀,再具體舉僧肇《肇論》中代表性的語詞,探討它們如何被僧肇運用而般若化,如何被後來修行者所承接。由此更確切了解僧肇《肇論》的位置與價值。本文選擇四種相關語詞,一個精確文字的精神來探討,分別是:1.當下雙遣:「自虛」、「即」。2.轉換道家印記:「參玄」。3.擇新詞以明:「虛照」、「寂用」、「寂、照」、「默照」。4.觸事即真:「會萬物以成己者,其唯聖人乎」。5.文道符應、文道般若的語言精確度。
唐代華嚴宗五祖說現今已為學術界廣泛認可,但這一祖統說的建立、發展還存在相當大的問題,其中日本學界對杜順「華嚴初祖」這一身份也是多有齟齬,最著名的當為境野黃洋博士提出的「智正初祖說」與常盤大定博士對此提出的「杜順初祖說」之爭。在探討唐初華嚴宗發展之時,要考慮到華嚴宗初祖這一帶有宗派性質說法的正式提出與華嚴學者之間的學說上的教理承襲之間的區別。當一個宗派成立之時,其正統性的意識也隨之自覺產生,而祖統傳承的確立其實是伴隨著這一正統性意識的覺醒而隨後被創造的,所以對於杜順其人,我們要從以下兩點來考察,一是關注杜順對智儼及法藏等後代華嚴學家的學術影響,以及這一影響何時為人所認同;二是關於杜順的初祖地位是從何時為人所認可,這兩點很容易被混為一談,但實際上這是兩條不同的主線,不能混為一談。
陽明心學以致良知說為主,強調「心即理」,「心外無物」,「心外無理」,謂格物致知,當向內「自求諸心」,不當向外索諸事物;又以「知行合一」、「致良知」為鵠的,頗具風采,翕來眾多追從者,對後世影響深遠。印順法師基於辨同異,對陽明學說提出不少回應,主要可歸納為五項:一是陽明重倫常之教,屬人乘善法,格局有限;二是陽明格物論,偏於心理的解說,並不周延;三是陽明等同良知為佛教的本淨心性,是一種曲解;四是陽明四句教,值得肯定,但有不足處;五是陽明知行合一說,仍有罅漏。這些評議,對吾人從另類角度觀察陽明學說應有助益。
親鸞は法然から伝承された「浄土真宗」を「他力真宗」「本願他力真宗」とも表現して,その仏道は『仏説無量寿経』に説示される法蔵菩薩(阿弥陀仏)の本願力回向によって成立するものと捉えている。鈴木大拙はこれを「他力宗」と評するのであるが,ともすればその仏道の主体は「他力」という語感から,阿弥陀仏の側にあるように受け取られることが多い。しかしながら,親鸞の開顕した浄土真宗の仏道構造は阿弥陀仏の救済(他力)を強調しつつも,真の主体はその本願力回向を受ける衆生の側にあることが窺えるのである。親鸞は「忘己利他」を理想の大乗仏道と見据える天台宗の自力的仏道から法然の専修念仏の他力救済道へと自らの救いを見いだしていくのであるが,言い換えると,その救いとは他力の念仏道がそのまま大乗仏道を歩む道程と同義であることを意味するものと言える。浄土真宗を阿弥陀仏による「救済教」であると強調するあまりに,キリスト教的救済論との類似性が指摘されたりするが,親鸞は浄土真宗を,本願力回向に出遇った凡夫.衆生自らが主体的.自覚的に大乗仏道を歩む「仏教」であると捉えているのである。