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多元文化交流

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東海大學日本語言文化學系,正常發行

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日本統治時代は台湾社会が現代化し始めた重要な段階であり、台湾従来の農業と食文化が激しく変化した時代でもある。新しい作物や食料品から、食生活の習慣、栄養知識まで台湾に持ち込まれ、また新たな台湾食文化の伝統を創ったと考えられる。たとえば、カレーライス、牛乳といった「西洋食」や、「すき焼き」のような「折衷料理」の受容を対象とした研究は存在するが、植民者と被植民者の権力関係が重要な視され、料理には「文明開化」、「同一化」の意味が付与されてきた。一方、日本食文化の中で重要な「醸造食品」である「味噌」は、現在台湾の一般家庭でよく使われる調味料の一つであり、「小吃」の中でも、甘めで具沢山の「味噌湯」が身近な存在となっている。にもかかわらず、味噌の受容についての研究はまだ見られていない。そこで本発表は、戦前台湾で発行された新聞、雑誌、教科書、統計書、文学作品などの文献を考察した。まず、日本統治時代初期、「台湾味噌」、「本島式味噌」という言葉がしばしば公文書や刊行物に見られる。民俗学者の東方孝義氏と池田敏夫氏は、台湾家庭で使われる「豆醤」という調味料を日本の「味噌」に相当することを記述し、「劣等な本島味噌」を「優良な内地味噌」と対比的に位置づけていた。しかしながら、当時日本人が定義した「台湾味噌」の「豆醤汐ウチウ)」が実は原料の種類から、発酵の仕方、調理法まで日本内地の味噌とほぼ異なっていることが分かった。つまり、台湾では日本人のように味噌、味噌汁を食用する慣習が元々なかったと考えられる。さらに、「同化教育」の一環として公学校の台湾人寮生に学生に日本食に馴染んでもらうために、毎朝の献立に味噌汁を出していたしかしながら、「日本食」に不慣れの台湾人学生がこうした食事に不満を抱き、「学校側が学生たちの不満を解消するために、ときどき朝食に台湾の揚げパンやピーナッツも提供するようになった」といったケースも見られた。また、「家事科」の教科書や婦人誌のなかでも、味噌の栄養価値を力説する文章や、味噌汁の作り方を提案する記事が常に登場していたことから、家庭や学校の寮では味噌を食用する習慣が1930年代まではまだ確立されていないことが推測できる。一方で、台湾での「内地味噌」の製造業が大正時代より発展し、生産量も年々増えていき、戦争が始まった昭和16年には最高生産量を記録した。戦争の勃発が一つの転換期であると考えられる。1937年以降の「皇民化政策」の実施、「興亜奉公日」の頒布、戦時中の食糧配給制度などが、一般家庭での味噌の需要を大いに促した可能性が高い。また、戦後日本人が退去したあとも、味噌工場のほとんどが米問屋を経営していた台湾人が受け継いだため、味噌の製造が停止しなかった。さらに、アメリカからの食料援助で大量な大豆が台湾の市場に流通すると同時に、戦後の台湾も食糧不足の問題に直面していたため、台湾の気候や環境の下で比較的に速く製造でき、安価で調理に便利な味噌が、料理屋にとっても消費者にとっても最適な選択であったと推測できよう。これまで台湾食文化についての研究では「台湾料理」の確立は政治権力、社会階級が関係していると指摘されている。一方、「味噌」のケースにおいては、経済や自然環境の変化などの要素が深く関わり、庶民による働きも大ぎ影響していると考えられる。

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本研究は、台湾の大学で開講されている日本語演劇の授業において日本語学習者に期待できる学びとはどのようなものかを明らかにすることを目的にし、学習者に実施した3回のアンケート、及び、教師が記録した授業観察ノートから時系列に分析と考察を行った。アンケートは、学期の始め、半ば、終わりの時期、合計3回実施した。アンケート調査から、学習者は、学期始めには「楽しみ・期待」という気持ちを持ちつつも「不安・緊張」を同時に感じていること、学期の半ばには、協力し合うことの大切さや意義を知り、多様性や互いに影響し合うことに気づき、また、問題を解決するために誰にどのように働きかけるべきか考えて行動しようという意識が伺えた。さらに、学期の終わりには、達成感、一体感、喜び、感謝などの気持ちを持つ一方で、不平等感や自己の不足や改善必要な部分への気づきがあった。そして、一学期間の日本語演劇の授業を終えて、自信や成長を実感する学習者が多数いることもわかった。授業観察ノートは、学期中に教師の立場から気づいた、学習者の言動、変化、問題点などを記したものである。そこから伺えることは、学習者が他の学習者と関わっていく中で自己を振り返る様子や、学習者が任せられている仕事や役割に対して主体的に取りくむ姿であった。台湾の日本語関係の学科がある大学の半数近くで演劇活動や授業が行われている。大学によって、その目的や授業目標は多様であり、担当する教師によっても指導内容や方法が異なっているようである。筆者の担当する日本語演劇の授業は、学期末に公演があるため、一学期を通して公演のための練習と準備が中心になる。このような演劇の授業の特徴として挙げられるのは、学習者が同じ目標(公演を成功させること)を持っていること、仕事を分担して進めるために各自が責任を負いながら他者と関わっていくこと、そして、日本語能力の高さに関わらない個性と表現を豊かに発揮することが求められることである。分析と考察の結果、日本語演劇の授業を通して個々の学習者が能力を発揮し、クラス全体の共同的で主体的な作業成果を高めるためのコミュニケーション能力の育成が期待できることが確認できた。

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本稿は東海大学言語文化学科の2014年度から開講している「台日交流実践-農食育の言語実践-」を中心に、領域間の提携と言語学科の言語的実践について検討しようとするものである。本カリキュラムの目的は最近台湾・日本両地域の共通課題-農食育の問題を中心に、日本語学科の学生に農食育の内容知識を学習させながら、農民に習った農作の実践によって農食育の大切さを体得させるほか、言語系の学生として、言語的技能の本来の意味を実践的な活動などを通して、体験させようとするのである。この授業は社会との繋がりを重視するため、台日農食育関係の専門家や農民たちと密接な連携関係を持っている。学生は実践的な活動を通して、知識面のみならず言語技能も活用できるようになった。本科目は2015年度から更に共同科目センター(通識中心)の社会学専門の教師と共同開講することになり、本学科の学生以外に、全校の各学科の学生も授業に参加するため、日本語学科の学生が多領域の学生と農食育の課題に取り組み、様々な実践的な活動や農作を共同で行うようになったのである。違う専攻の教師や学生の参加によって、実践の場もさらに広がるようになり、大学内だけではなく、校外の専門家や農食育に関心を持っ方々との連携関係もより深まり、社会実践もより実現性が高いものであるようになりつつある。日本語言文化学系で始まった「台日交流実践-農食育の言語実践-」が、農食育という共通の課題のもとで、他領域の教師・学生と協働し、専門家たちやコミュニティーの方々とも連携を持つようになった。学生間の交流のみならず、教師の交流、及び異なる分野の方々との交流も行ってきた。多元的な現代社会のニーズが多様化され、各領域の専攻分野も細分化されつつあるにもかかわらず、食の安全と安心という国境を越えた共通の課題はもはや一地域や一専攻分野の問題ではなく、すべての人に関わる問題だということは誰も否定できなぃであろう。どのように人々を繋げてともに考えていくか、どう皆の力を合わせて一緒に頑張るかは重要な課題だと認識されつつある。この繋がりの力はコミュニケーションの実践だと考えるであろう。ここで考えられるのは言語を専攻とする人の橋渡しとしての役割である。現代社会の多元的なニーズに応じられるような言語教育はどうあるべきなのか。言語を専攻とする学生はどうやって社会と繋がることが可能なのか、このカリキュラムを借りて試行してき、又更に探求して行きたい。

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本稿では台湾の高等教育における正式科目「服務学習(サービスラーニング)」の推進について概略を紹介したあと、筆者が2017年に台湾の科技大学で担当した必修科目としての当該科目について、主に(1)実践状況、(2)学生の学びを中心とした成果、(3)課題および今後の展望について報告する。最後に、大学がサービスラーニングを通して行う近隣地域への貢献で得られた新たな成果について少子化という観点から言及する。