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村上春樹『1Q84』における天吾と青豆の身体的渇求―プラトンのアンドロギュノスをべースに

摘要


本発表は、『1Q84』(BOOK1、BOOK2、BOOK3)を身体論から解読したものである。研究手順としては、まず、天吾の「立ちくらみ」、青豆の「顔をしかめる」と言った特徴的身体表現から、二人がそれぞれ抱えているトラウマを素描した。次に二人が共有する「嫌な日曜日の記憶」と「心暖まる教室風景の記憶」という共同記憶が、天吾と青豆にとって生涯を方向付ける大きな意味のある記憶であることを明確にした。最後に、大人に成長した二人のそれぞれの性的遍歴を見れば、天吾にとって年上のガールフレンドは不倫した母親と重なって見える対象であると共に性欲を満足させてくれるセックス.パートナーに過ぎない。そして、ふかえりと安達は青豆探しの行動の契機となる、触媒的な性的関係の相手である。一方、友情に似た気持ちを抱けた相手の環とあゆみとの間で青豆は、いずれも「レズビアンの真似」をして、同性との絆を強めたと見られる。さらに、異性に近づき、行きずりの男とのセックスをすることによって、性的欲求を解消した青豆は、そのことで天吾に与える純粹な精神のスペースをきちんと確保しようとしている。また、作中の「プラトン」、「饗宴」、「性的饗宴」の言葉、天吾と青豆の二人だけに限って、「二つに裂ける」(ちぎれる)と言った表現から、プラトンが『饗宴』篇で描いたアンドロギュノスが想起されよう。そこから見ると、『1Q84』は、アンドロギュノスの片割れとされる天吾と青豆は「教室風景の記憶」に執着し、自分の片割れを必死に見つけ出そうとした恋愛物語であり、プラトンの『饗宴』篇が恋愛の動機の説明に意図的装置として設定されていることが明白になったのである。『1Q84』は現代の日本社会で広く理解されているような、恋愛を感情的レベルのみの問題としているのではなく、アンドロギュノスの神話に見られるように、肉体的身体的レベルで引き裂かれた相手を希求する身体性による恋愛小説の試みである。そして、そうした身体論から見ると天吾と青豆の恋愛は、実は精神的作用を身体的行為が支配しており、身体は行為のなされる物質的空間と感応している構造を持っており、それが作品全体の不可解な世界構造に繋がっている点に注目べきであろう。

被引用紀錄


劉德敏(2012)。村上春樹作品《1Q84》中「入口」與「出口」之意涵 -以女主角青豆的「自我改革」為中心-〔碩士論文,淡江大學〕。華藝線上圖書館。https://doi.org/10.6846/TKU.2012.00193

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