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  • 學位論文

關於近代日本武士道及性別 ―「戰鬥女性」的表象為何―

近代日本における武士道とジェンダー ―〈戦う女〉はいかに表象されたか―

指導教授 : 山藤夏郎

摘要


在近代日本社會中,曾經/擁有被稱為「賢妻良母主義」這種要求女性成為「賢妻、良母」之文化上的性別規範一事廣為人知,在此同時需要回顧橫跨於明治末年至大正年初,以雜誌《青鞜》為中心,於近代自我覺醒並從封建父權體制解放中扮演重要角色的「新女性」。在她們追求女性的近代化的途中,同時也需要注意的是,在近代這個時代中可說是戰爭的世紀中,女性也會被捲入社會變遷的洪流之內。因此,本研究著重的點為,在戰爭期間女性要如何求生存這個觀點中,來具體為探討「武士道」這個思想和性別思想之間的關聯性。 然而,針對「武士道」一詞有一點需要多加注意的是,本論文中作為研究對象的「武士道」思想是「從明治國家體制為基礎所誕生的近代思想」(出自菅野覺明《武士道の逆襲》講談社、2004年),亦可說是一種「被創造出來的傳統」。新渡戶稻造(1862‐1933)於1900年(明治33)用英文發行的《武士道》(書籍原文:Bushido: The Soul of Japan)一書,讓「武士道」一詞及思想在世界被廣為人知;和江戶時代盛行的武士道思想不同的是,該書所提及的武士道思想是擷取西洋思想來構成的。再來,同時代中亦出現「基督教武士道」這種利用基督教思想來改善舊有武士道思想的嶄新概念。 其中,新渡戶稻造《武士道》一書內的第十四章「婦人教育及地位」中,能從中得知女性在武士道思想的框架中應有的樣子。此外,本研究選用於明治・大正年間出版,介紹日本史上女性的豐功偉業之書籍――《女武士道》(1908年=明治41)、《日本女子百傑》(1898年=明治31)、《賢妻烈婦四十七女》(1912年=明治45)――作為範本,從中分析其敘述模式的同時,在當時的日本出版,介紹法國女傑聖女貞德之文章――舉例來說,明治的文豪德富蘆花所撰寫的「奧爾良的少女」等相關文章――作為研究著重點,來驗證「戰鬥女性」之形象的塑造方式。在此同時,本研究將會以中野竹子這種在幕末時期的戊辰戰爭中實際拿起薙刀參戰,但最終戰死的女性作為研究焦點,並透過分析在當代所出版的中野竹子之相關書籍來考察「戰鬥女性」是如何被塑造而成的。 就整體而言,能得知「戰鬥女性」有「捨棄女性的屬性(女裝)上戰場」、「習得比肩男性的戰鬥能力並在戰場中不畏死亡極力奮戰」、「即便不上戰場,在緊急情況時能毫不猶豫以生命為代價行動」這三種特質。除此之外,「戰鬥女性」的形象認定為背離「男性的助手」的社會角色且能基於自己的意識行動的女性。

並列摘要


近代日本社会が、「良妻賢母主義」と呼ばれるような、女性に「よき妻であり、よき母である」ことを求めるような文化的なジェンダー規範を持っていた/いることはよく知られているが、それと同時に想起しておく必要があるのは、明治末年から大正初め頃にかけて、雑誌『青鞜』が中心となって、近代的自我に目覚め、封建的な家父長制から自らを解放した女性を「新しい女」と呼んで歓迎していたことである。そのような女性の近代化が目指される中で、同時に注目しておく必要があるのは、近代という時代が戦争の世紀でもあったということ、そしてその中で、女性も当然その社会変化に巻き込まれていくこととなったということである。そこで、本研究が注目したいのは、戦争が女性にどのような生き方を求めることになったのか、という観点であり、具体的には「武士道」の思想が、ジェンダー思想とどのように関連していたのかという点である。 ただし、ここでいう「武士道」については一つ注意しておく点がある。それは本書が対象とする「武士道」思想とは、「明治国家体制を根拠として生まれた、近代思想」(菅野覚明『武士道の逆襲』講談社、2004年)であり、一種の「創られた伝統」としてのそれであるということである。「武士道」という言葉や思想を広く世界に知らしめたのは、1900年(明治33)に英文で刊行された、新渡戸稲造(1862‐1933)の『武士道』(原題:Bushido: The Soul of Japan)であるが、同書は、江戸時代に盛行した武士の思想と異なり、西洋思想を摂取して構成されたものであった。さらに、同時代にはキリスト教思想を利用して旧来の武士道思想を改善する「キリスト教武士道」という斬新な概念も現れた。 そして、新渡戸稲造の『武士道』の第十四章には「婦人の教育および地位」という章が立てられており、武士道思想の枠組みにおいて、女性とはどうあるべきかという論点が含まれていることが確かめられる。また、明治・大正期に出版された、日本の歴史上の女性の偉業を紹介した書物――『女武士道』(1908年=明治41)、『日本女子百傑』(1898年=明治31)、『賢妻烈婦四十七女』(1912年=明治45)など――をとりあげ、その記述のパターンを分析するとともに、当時の日本で出版されていた、フランスの女傑ジャンヌ・ダルクの偉業を紹介した文章――例えば、明治の文豪、徳富蘆花によって書かれた「オルレアンの少女」など――に注目し、〈戦う女〉がどのように造形されていたのかを検証する。また、それと同時に、幕末の戊辰戦争で実際に薙刀を持って戦い、戦死した女性として知られている、中野竹子の事例に注目し、当時出版された中野竹子関連書籍の分析を通して、〈戦う女〉のイメージがどのように作り上げられていたのかを考察する。 総合して言えば、〈戦う女〉には「女性的な属性(女装)を捨てて戦場に出る」こと、「男性に負けない戦闘能力を身につけ、戦場で死ぬことを恐れず奮戦する」こと、「戦場に出なくても、いざという時迷わず命を捧げるように行動する」ことという三つの特徴があることが確認される。女性にとっての武士道思想の中には、「男性の補佐役」という良妻賢母主義的な社会的役割を与えるものもあれば、そこから逸脱し、自らの意志に基づいて行動できるような、つまり「新しい女」に近い女性像がイメージされていたことが確かめられるのである。

參考文獻


著書(日本語)
会津戊辰戦史編纂会(1933)『会津戊辰戦史』会津戊辰戦史編纂会
蘆谷重常(1926)『カトリック童話宝玉集』日本カトリック刊行会
アナトオル・フランス(1917)『ジャンヌ・ダルク』早稲田大学出版部
飯田祐子編(2002)『『青鞜』という場―文学・ジェンダー・〈新しい女〉―』森話社

延伸閱讀