以中國話爲母語的台灣人日語學習者,在學習日語發音的時候,最感到困難的,應該是清音跟濁音的混淆。台灣人學習者因爲自己母語的影響,對於「有氣無聲子音」與「無氣無聲子音」能夠清楚的辨別。但是對於「有聲子音」與「無聲子音」卻經常無法區分。在中文裡,「有氣無聲破裂子音」與「無氣無聲破裂子音」有意義上的示差,但是「有聲破裂子音」並不存在。另一方面,日語裡「無聲子音」與「有聲子音」有意義上的辨別,而「有氣子音」與「無氣子音」卻沒有意義上的差異。但是日本人在實際的談話中,會因語音環境,出現跟中國話相當的「有氣無聲子音」及「無氣無聲子音」。在台灣從事日語教學的教師,在教導パ行音、タ行音、カ行音的發音時,經常會告訴學習者,這幾行的子音在字頭的時候要發有氣聲,在字中字尾的時候,則要發無氣聲。這項規則的確提供了台灣人學習者一個很好的發音準則,但是過分的強調則會出現負面的效果。本論文是以大學日文系學習者的語音資料做分析,探討在此發音原則指導下的學習者,是否能夠完全因此規則而在發音上有正面的影響。另外,也將討論學生在學習「有氣子音無氣化」的規則時,經常會因為過度修正,而產生「無聲子音有聲化」的現象。
中国語を母語とする台湾人日本語学習者には、日本語を勉強するとき、一番難しいと思っているのは清音と濁音の混同であろう。台湾人学習者は自分の母語の影響で、有気無声子音と無気無声子音をはっきり聞き分けられる。しかし、「有声子音」と「無声子音」がなかなか区別できない。中国語には、「有気無声破裂子音」と「無気無声破裂子音」の対立はあるが、「有声破裂子音」は存在しない。一方、日本語には有声子音と無声子音の対立はあるが、有気音と無気音の音韻論的な対立はない。しかし、日本人の発音の中にも中国語の有気音・無気音に相当する発音が音声学的には存在する。台湾で日本語教育に携わる教師は、よく学習者にパ行音、タ行音、カ行音の子音は「語頭では有気音、語頭以外は無気音」というように教える。このルールは確かに台湾人学習者に発音の方法を教えてくれるが、あまり強調しすぎると、逆効果をもたらす恐れがある。本稿は台湾の大学の日本語学科の学生の音声データを分析し、「語頭では有気音、語頭以外は無気音」という方法は学生の発音にはすべてプラス効果になるのであろうかを探りたい。また、学習者は「有気子音の無気化」の場合、過剰修正が起こり、「無声子音の有声化」という現象も考察したい。